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日本の肉食について。
少なくとも縄文時代からシカやイノシシを食べていました。
仏教が伝来すると、「牛・馬・犬・鶏・猿を農繁期に食べてはいけない」 …という法律が出来ました。
逆に言えば農業がヒマな時は食べてもいい、という事です。 (鹿やイノシシは通年OK)
日本人が大好きな「ケガレ」と肉食を結びつける事でいちおうの肉食禁止ルールは出来ましたが、
以降、大っぴらではないもののずっと肉食文化は続きます。
1867年(慶応3年)の話。
まだ肉食=薬喰い、と呼ばれ人目をはばかる時代。
牛肉を売り始めた男がいたんですがイギリス公使館以外全く売れず。
そもそも満足な屠畜場が用意できず、注連縄+御幣の結界内で屠殺し、
全ての道具、皿に至るまでそのつど破棄。
まだ血抜きの技が確立しておらず、臭いの強い佃煮を慶応義塾の学生向けに売る事で
かろうじて商売が成り立った。
慶応大の調理場に入る事は許されず、窓越しに手売り。
しかしこれは逆に日銭を得る事が出来るという利点となり、他の業者からはうらやましがられた。
これが明治に入ると劇的に変わります。
天皇も肉食した!
肉食する事が文明人の必須条件!…という発想です。
(ちなみに天皇はおおよそ1200年間、肉食をしてなかった計算になります)
1873年(明治6年)
ある新聞に寄せられた大阪松屋町の谷村さんからの投稿。
「豚肉は健康に良くないので食うべからず。
近頃養豚家が増えて肉の価格が下がったため自ら人体実験を行ってみた結果、
脂肪が増え肥満となり、西洋医に「合併症のおそれあり」と診断されてしまった」
…完全に谷村さんの自爆だと思うんですが。
まぁそれだけ食べる機会があったという事。
さてさて肉というモノに(表向き)慣れ親しみが無い日本人。
最初に挑戦したのは煮込み。牛鍋というやつですね。
ブームになれば当然悪い事を考える奴もいるわけでして、当時から偽装牛肉があったそうです。
その見分け方がずいぶん激しい。
「肉を壁に叩きつけ、壁にくっついたら馬肉、すぐ落ちたら牛肉」
良い子は真似をするなよ。
牛鍋ブームのあと、西洋の正しい?食事が伝わると今度は洋食ブーム。
特にウケたのは衣を付けた肉を多目の油で揚げ焼きにする「カツレツ」。
漬かるほど大量の油で揚げるいわゆる「トンカツ」が出来るのはもうちょっと先のお話です。
このカツレツ屋が大当たり。
「客が来ても挨拶無し」「国産油では揚げない」
「店先に、カツは時間がかかりますから調理人を急かさないで、という張り紙」などなど
今でいう頑固ラーメン屋のような店も多かったとか。
それでも人は食べたがったという事ですね。
ただ、ナイフとフォークだけは慣れず、
「カツを切った拍子に皿から肉を落とした」とか
「口の中を切って血だらけになりながら食べる」というシーンも多かったそうです。
さて、では最後に…当時の料理を味わってみましょうか。
日本人の口に合ったトンカツですが、その登場当時の食べ方は今とちょっと違っています。
・ソースを多めにかけ、肉だけを先に食べる
・衣はご飯に混ぜ込んでカツめし?にする
…のがイケてる食べ方だったそうですよ。お試しあれ。
少なくとも縄文時代からシカやイノシシを食べていました。
仏教が伝来すると、「牛・馬・犬・鶏・猿を農繁期に食べてはいけない」 …という法律が出来ました。
逆に言えば農業がヒマな時は食べてもいい、という事です。 (鹿やイノシシは通年OK)
日本人が大好きな「ケガレ」と肉食を結びつける事でいちおうの肉食禁止ルールは出来ましたが、
以降、大っぴらではないもののずっと肉食文化は続きます。
1867年(慶応3年)の話。
まだ肉食=薬喰い、と呼ばれ人目をはばかる時代。
牛肉を売り始めた男がいたんですがイギリス公使館以外全く売れず。
そもそも満足な屠畜場が用意できず、注連縄+御幣の結界内で屠殺し、
全ての道具、皿に至るまでそのつど破棄。
まだ血抜きの技が確立しておらず、臭いの強い佃煮を慶応義塾の学生向けに売る事で
かろうじて商売が成り立った。
慶応大の調理場に入る事は許されず、窓越しに手売り。
しかしこれは逆に日銭を得る事が出来るという利点となり、他の業者からはうらやましがられた。
これが明治に入ると劇的に変わります。
天皇も肉食した!
肉食する事が文明人の必須条件!…という発想です。
(ちなみに天皇はおおよそ1200年間、肉食をしてなかった計算になります)
1873年(明治6年)
ある新聞に寄せられた大阪松屋町の谷村さんからの投稿。
「豚肉は健康に良くないので食うべからず。
近頃養豚家が増えて肉の価格が下がったため自ら人体実験を行ってみた結果、
脂肪が増え肥満となり、西洋医に「合併症のおそれあり」と診断されてしまった」
…完全に谷村さんの自爆だと思うんですが。
まぁそれだけ食べる機会があったという事。
さてさて肉というモノに(表向き)慣れ親しみが無い日本人。
最初に挑戦したのは煮込み。牛鍋というやつですね。
ブームになれば当然悪い事を考える奴もいるわけでして、当時から偽装牛肉があったそうです。
その見分け方がずいぶん激しい。
「肉を壁に叩きつけ、壁にくっついたら馬肉、すぐ落ちたら牛肉」
良い子は真似をするなよ。
牛鍋ブームのあと、西洋の正しい?食事が伝わると今度は洋食ブーム。
特にウケたのは衣を付けた肉を多目の油で揚げ焼きにする「カツレツ」。
漬かるほど大量の油で揚げるいわゆる「トンカツ」が出来るのはもうちょっと先のお話です。
このカツレツ屋が大当たり。
「客が来ても挨拶無し」「国産油では揚げない」
「店先に、カツは時間がかかりますから調理人を急かさないで、という張り紙」などなど
今でいう頑固ラーメン屋のような店も多かったとか。
それでも人は食べたがったという事ですね。
ただ、ナイフとフォークだけは慣れず、
「カツを切った拍子に皿から肉を落とした」とか
「口の中を切って血だらけになりながら食べる」というシーンも多かったそうです。
さて、では最後に…当時の料理を味わってみましょうか。
日本人の口に合ったトンカツですが、その登場当時の食べ方は今とちょっと違っています。
・ソースを多めにかけ、肉だけを先に食べる
・衣はご飯に混ぜ込んでカツめし?にする
…のがイケてる食べ方だったそうですよ。お試しあれ。
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