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長い戦争が終わりました。
その後コメはどういう状況だったのでしょうか。
1945年(昭和20)8月、敗戦。
この敗戦の瞬間はコメの端境期(はざかいき…収穫前で一番不足している時)だったため、
主食としてのコメの確保は絶望的でした。
コメは入手しやすく食べやすい事・消化しやすい事が特徴。
ガツガツモリモリ食べて、栄養素をかき集める事に意義があるのです。
ですが入手がままならず量を確保出来ない状況ではそれは叶いません。
この頃はイモ類や野菜類で飢えを凌いでいたようです。
戦後、徐々にコメの生産は回復しますが、
コメを大量に食べるべし!という方向性は消えていきました。
コメ以外の食材の調理法が進化した…であるとか
単一食材に頼る事の危険性に気づいた…であるとか
進駐軍のハイカラな料理が注目を浴びたから…であるとか
様々な説がありますが、スッキリした解読は出来そうにありません。
ですがコメ離れが始まったのは確か。
ちょっと乱暴ですが「1人1日当たりの摂取量」を20年ごとに見てみましょう。
1955年(昭和30) コメ 346g 卵 11g 乳製品 14g 肉類 12g
1975年(昭和50) コメ 248g 卵 41g 乳製品103g 肉類 64g
1995年(平成7 ) コメ 167g 卵 42g 乳製品144g 肉類 82g
…こうして並べると歴然としていますね。
コメ消費は今年あたり1日当たり160gを切っているはず。
終戦間際の配給、1日当たり2合1勺(315g)と比較すると、
現代人はその半分しか食べていないのです。
(もっとも、配給があるのは2回に1回ほどだったようですから、
実質現代の摂取量は当時と同じ量といえそうです)
もはやコメをガツガツ食べ、そこに含まれるカロリーと栄養素をかき集めるという時代ではない…
というのがはっきり分かります。
コメ以外から十分なカロリーと栄養素を摂取出来る(はずの)現代では、
昔のようにコメをドカドカ喰うのは不自然になったのかもしれません。
さて、長きに渡ったらいす論も今回で終了で御座います。
皆さんが少しでもタベモノに興味を持って頂いたなら書き手冥利に尽きます。
書いている最中に新たに見つけたネタもありますが、それはまた別の機会に。
その後コメはどういう状況だったのでしょうか。
1945年(昭和20)8月、敗戦。
この敗戦の瞬間はコメの端境期(はざかいき…収穫前で一番不足している時)だったため、
主食としてのコメの確保は絶望的でした。
コメは入手しやすく食べやすい事・消化しやすい事が特徴。
ガツガツモリモリ食べて、栄養素をかき集める事に意義があるのです。
ですが入手がままならず量を確保出来ない状況ではそれは叶いません。
この頃はイモ類や野菜類で飢えを凌いでいたようです。
戦後、徐々にコメの生産は回復しますが、
コメを大量に食べるべし!という方向性は消えていきました。
コメ以外の食材の調理法が進化した…であるとか
単一食材に頼る事の危険性に気づいた…であるとか
進駐軍のハイカラな料理が注目を浴びたから…であるとか
様々な説がありますが、スッキリした解読は出来そうにありません。
ですがコメ離れが始まったのは確か。
ちょっと乱暴ですが「1人1日当たりの摂取量」を20年ごとに見てみましょう。
1955年(昭和30) コメ 346g 卵 11g 乳製品 14g 肉類 12g
1975年(昭和50) コメ 248g 卵 41g 乳製品103g 肉類 64g
1995年(平成7 ) コメ 167g 卵 42g 乳製品144g 肉類 82g
…こうして並べると歴然としていますね。
コメ消費は今年あたり1日当たり160gを切っているはず。
終戦間際の配給、1日当たり2合1勺(315g)と比較すると、
現代人はその半分しか食べていないのです。
(もっとも、配給があるのは2回に1回ほどだったようですから、
実質現代の摂取量は当時と同じ量といえそうです)
もはやコメをガツガツ食べ、そこに含まれるカロリーと栄養素をかき集めるという時代ではない…
というのがはっきり分かります。
コメ以外から十分なカロリーと栄養素を摂取出来る(はずの)現代では、
昔のようにコメをドカドカ喰うのは不自然になったのかもしれません。
さて、長きに渡ったらいす論も今回で終了で御座います。
皆さんが少しでもタベモノに興味を持って頂いたなら書き手冥利に尽きます。
書いている最中に新たに見つけたネタもありますが、それはまた別の機会に。
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