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1573年
地元大名の赤松氏が没落、家来が離散。
醸造業に転向し、円尾屋・栗栖屋・幾久屋(菊屋)といった店が出来た。
1615年
江戸幕府と徳川家康の時代。
京料理に使われていた龍野の醤油は高い評価を受けた。
1666年
円尾屋が色の淡い「淡口醤油」(うすくちしょうゆ)を開発。
地元特産品となり、藩主が生産を後押しする。
1869年(明治2)
明治維新で藩の財政が悪化。
藩直営の醤油醸造所を売却する事に。
商人・浅井氏がこれを購入し「浅井醤油」となる。
浅井醤油のトレードマークは「丸の中に東」。
これは藩の醸造所があった蔵が「東の丸」にあったから。
1912年(大正元)
浅井醤油と菊一醤油(旧・菊屋)が宮内省御用達に。
1942年(昭和17)
戦争により従業員減・材料減が発生。
菊一醤油と浅井醤油が合併。
「龍野醤油株式会社」が成立。
トレードマークは「菊紋の中に東」
1949年(昭和24)
トレードマークを「丸の中に東」に変更。
1964年(昭和39)
会社名を「ヒガシマル醤油株式会社」に変更。
粉末のうどんスープ、ラーメンスープ発売。
1979年(昭和54)
丼物のベース「ちょっとどんぶり」発売。
地元大名の赤松氏が没落、家来が離散。
醸造業に転向し、円尾屋・栗栖屋・幾久屋(菊屋)といった店が出来た。
1615年
江戸幕府と徳川家康の時代。
京料理に使われていた龍野の醤油は高い評価を受けた。
1666年
円尾屋が色の淡い「淡口醤油」(うすくちしょうゆ)を開発。
地元特産品となり、藩主が生産を後押しする。
1869年(明治2)
明治維新で藩の財政が悪化。
藩直営の醤油醸造所を売却する事に。
商人・浅井氏がこれを購入し「浅井醤油」となる。
浅井醤油のトレードマークは「丸の中に東」。
これは藩の醸造所があった蔵が「東の丸」にあったから。
1912年(大正元)
浅井醤油と菊一醤油(旧・菊屋)が宮内省御用達に。
1942年(昭和17)
戦争により従業員減・材料減が発生。
菊一醤油と浅井醤油が合併。
「龍野醤油株式会社」が成立。
トレードマークは「菊紋の中に東」
1949年(昭和24)
トレードマークを「丸の中に東」に変更。
1964年(昭和39)
会社名を「ヒガシマル醤油株式会社」に変更。
粉末のうどんスープ、ラーメンスープ発売。
1979年(昭和54)
丼物のベース「ちょっとどんぶり」発売。
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