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ニョッキ「ぷう。の旦那ァ!ぷう。の旦那ァ!」
ぷう。 『はいはい、どうしましたかナ』
ニョッキ「またまたお尋ねしてェ事があるんで」
ぷう。 『はいはい、何についてで御座いますかナ』
ニョッキ「いや、またまたウドンなんですがね」
ぷう。 『はいはい、赤いきつねとかごんぶととか』
ニョッキ「そりゃあ…… …合ってるじゃねェですかい。そのウドンで」
ぷう。 『ウドンの何がお困りで』
ニョッキ「いや、この前旦那に教えてもらったじゃねェですか、
江戸ではウドンの薬味に割り胡椒を使ってたって」
ぷう。 『はいはいその通り。江戸初期は東インド会社からかなりの量を輸入してましてな。
ウドンに限らず湯豆腐なんかにも割り胡椒だったそうで御座いますよ。
米一升を醤油と出汁、割り胡椒小さじ2を混ぜて炊いた胡椒飯なんていうのもある。
何にせよ、江戸後期、幕末辺りまでには薬味=胡椒、は廃れたそうですが。
詳しい事はWebで検索を』
ニョッキ「何ですかいそのWebってのは…でね、オイラそれを長屋のお花に教えてやったんでさァ」
ぷう。 『ほうほう、あの7月の終わりに観月会に行くとかいうお花さん』
ニョッキ「何でそんな事まで知ってるかなこの老人は」
ぷう。 『そう誉めないで』
ニョッキ「誉めちゃいねェんで。ともかくお花に話しましたらね、
お花の奴がこう言うんで。
『どうせならあちきはもっと古い時代のウドンが食べとうありんす』
ぷう。 『なるほどねぇ。ではもっと古い時代のウドンが知りたい、と。
ちょうどいい。私もお昼を食べようと思ってたところだ』
ニョッキ「よ!さすが旦那」
ぷう。 『それにしてもアンタはいつも昼どきに来るね』
ぷう。 『……はいはい、出来ましたよ。遠慮せずに食べておくれ』
ニョッキ「…旦那、このウドンは…いったい何味なんで?」
ぷう。 『味噌と胡椒ですなァ』
平安時代辺りには「牟義縄」(むぎなわ)という食べ物があったそうです。
これは中国伝来の食べ物で、本来は「索餅」(さくべい)と呼ばれていました。
小麦粉を水で練り、紐のように伸ばして2本縒り合わせて作ります。
このお菓子が後世になって麺へと進化し、
その中で 切った牟義縄→切った麦縄→切り麦、という名前に変わったようです。
言うなればウドンの前身が切り麦(今で言う冷や麦)、そのまた前身が索餅というわけ。
この索餅についてはつけダレ?のレシピがあります。
…それも今から1000年以上前の。
それによると…
・索餅は小麦粉一石五斗、米粉六斗、塩五升を使う
・この材料で出来るのは575藁の索餅
藁、という単位は不明ですが、1藁=1食分と仮定すると、
一人当たり3合強の小麦粉となり、現代のウドンに換算すると1キロ近く!
この1藁に使う調味料は以下の通り。
・糖(?) 3勺(54mg)
・小豆 3勺(カップ1/3強)
・酢 1勺(カップ1/10)
・醤(たまり醤油) 2勺(大さじ2強)
・塩 6勺(110ml)
・生姜 1勺(大さじ1強)
・胡桃 6個
これを混ぜ、索餅に和えて食べるそうです。
なお御丁寧な事に、これら食材が無い時用の簡易タレレシピまであるんです。
「未醤1.1~2.6勺をからめて食べるべし。薬味は胡椒」
未醤というのは現代で言う味噌。
もっと時代が下がると、茹で湯そのものに味噌を溶かして食べるようになり、
(味噌煮込みのルーツ!)
さらに時代が下がると、煮詰めた味噌汁を袋に入れ、垂れ落ちる雫をつけダレにしたとか。
醤油が安定供給されるまでは、こう言った味噌ダレが基本だったそうですよ。
おっと、前回の「薬味に黒胡椒」は素ウドンの薬味です。
ザルウドンでも使われていたはずなんですが、確認が取れませんでした。
ぷう。 『はいはい、どうしましたかナ』
ニョッキ「またまたお尋ねしてェ事があるんで」
ぷう。 『はいはい、何についてで御座いますかナ』
ニョッキ「いや、またまたウドンなんですがね」
ぷう。 『はいはい、赤いきつねとかごんぶととか』
ニョッキ「そりゃあ…… …合ってるじゃねェですかい。そのウドンで」
ぷう。 『ウドンの何がお困りで』
ニョッキ「いや、この前旦那に教えてもらったじゃねェですか、
江戸ではウドンの薬味に割り胡椒を使ってたって」
ぷう。 『はいはいその通り。江戸初期は東インド会社からかなりの量を輸入してましてな。
ウドンに限らず湯豆腐なんかにも割り胡椒だったそうで御座いますよ。
米一升を醤油と出汁、割り胡椒小さじ2を混ぜて炊いた胡椒飯なんていうのもある。
何にせよ、江戸後期、幕末辺りまでには薬味=胡椒、は廃れたそうですが。
詳しい事はWebで検索を』
ニョッキ「何ですかいそのWebってのは…でね、オイラそれを長屋のお花に教えてやったんでさァ」
ぷう。 『ほうほう、あの7月の終わりに観月会に行くとかいうお花さん』
ニョッキ「何でそんな事まで知ってるかなこの老人は」
ぷう。 『そう誉めないで』
ニョッキ「誉めちゃいねェんで。ともかくお花に話しましたらね、
お花の奴がこう言うんで。
『どうせならあちきはもっと古い時代のウドンが食べとうありんす』
ぷう。 『なるほどねぇ。ではもっと古い時代のウドンが知りたい、と。
ちょうどいい。私もお昼を食べようと思ってたところだ』
ニョッキ「よ!さすが旦那」
ぷう。 『それにしてもアンタはいつも昼どきに来るね』
ぷう。 『……はいはい、出来ましたよ。遠慮せずに食べておくれ』
ニョッキ「…旦那、このウドンは…いったい何味なんで?」
ぷう。 『味噌と胡椒ですなァ』
平安時代辺りには「牟義縄」(むぎなわ)という食べ物があったそうです。
これは中国伝来の食べ物で、本来は「索餅」(さくべい)と呼ばれていました。
小麦粉を水で練り、紐のように伸ばして2本縒り合わせて作ります。
このお菓子が後世になって麺へと進化し、
その中で 切った牟義縄→切った麦縄→切り麦、という名前に変わったようです。
言うなればウドンの前身が切り麦(今で言う冷や麦)、そのまた前身が索餅というわけ。
この索餅についてはつけダレ?のレシピがあります。
…それも今から1000年以上前の。
それによると…
・索餅は小麦粉一石五斗、米粉六斗、塩五升を使う
・この材料で出来るのは575藁の索餅
藁、という単位は不明ですが、1藁=1食分と仮定すると、
一人当たり3合強の小麦粉となり、現代のウドンに換算すると1キロ近く!
この1藁に使う調味料は以下の通り。
・糖(?) 3勺(54mg)
・小豆 3勺(カップ1/3強)
・酢 1勺(カップ1/10)
・醤(たまり醤油) 2勺(大さじ2強)
・塩 6勺(110ml)
・生姜 1勺(大さじ1強)
・胡桃 6個
これを混ぜ、索餅に和えて食べるそうです。
なお御丁寧な事に、これら食材が無い時用の簡易タレレシピまであるんです。
「未醤1.1~2.6勺をからめて食べるべし。薬味は胡椒」
未醤というのは現代で言う味噌。
もっと時代が下がると、茹で湯そのものに味噌を溶かして食べるようになり、
(味噌煮込みのルーツ!)
さらに時代が下がると、煮詰めた味噌汁を袋に入れ、垂れ落ちる雫をつけダレにしたとか。
醤油が安定供給されるまでは、こう言った味噌ダレが基本だったそうですよ。
おっと、前回の「薬味に黒胡椒」は素ウドンの薬味です。
ザルウドンでも使われていたはずなんですが、確認が取れませんでした。
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