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では淡口醤油とは何ぞや?
醤油は大豆や麦を原料とし、麹で発酵させる事で様々な醤油が作られます。
日本の規格では以下の5つに分類されます。

国内生産量の8割を占める「濃口」 
大豆1:小麦1を使用、塩分16%
発酵期間は6か月ほど。シェア83%
千葉県のキッコーマン醤油。

色が淡く、やや塩分が強い「淡口」(うすくち)
大豆1:小麦1を使用、塩分18%
発酵期間は6か月超。シェア14%
兵庫県たつの市のヒガシマル醤油。

濃厚な色ととろみが特徴の「たまり」
基本的に大豆ベース。塩分16%
発酵期間は6か月~1年。シェア1.5%
主な生産地は東海地方。

水の代わりに醤油を使って作る「再仕込み」 
大豆1:小麦1を使用、塩分16%
発酵期間は6か月。シェア1%以下
主な生産地は山口県

醤油とは思えないほどの色の淡さが特徴の「しろ」 
基本的に小麦ベース。塩分18%
発酵期間は3か月。シェア1%以下
主な生産地は愛知県。

…このように、様々な醤油が様々な地方で作られているのです。
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1573年
地元大名の赤松氏が没落、家来が離散。
醸造業に転向し、円尾屋・栗栖屋・幾久屋(菊屋)といった店が出来た。

1615年
江戸幕府と徳川家康の時代。
京料理に使われていた龍野の醤油は高い評価を受けた。

1666年
円尾屋が色の淡い「淡口醤油」(うすくちしょうゆ)を開発。
地元特産品となり、藩主が生産を後押しする。

1869年(明治2)
明治維新で藩の財政が悪化。
藩直営の醤油醸造所を売却する事に。
商人・浅井氏がこれを購入し「浅井醤油」となる。
浅井醤油のトレードマークは「丸の中に東」。
これは藩の醸造所があった蔵が「東の丸」にあったから。

1912年(大正元)
浅井醤油と菊一醤油(旧・菊屋)が宮内省御用達に。

1942年(昭和17)
戦争により従業員減・材料減が発生。
菊一醤油と浅井醤油が合併。
「龍野醤油株式会社」が成立。
トレードマークは「菊紋の中に東」

1949年(昭和24)
トレードマークを「丸の中に東」に変更。

1964年(昭和39)
会社名を「ヒガシマル醤油株式会社」に変更。
粉末のうどんスープ、ラーメンスープ発売。

1979年(昭和54)
丼物のベース「ちょっとどんぶり」発売。


兵庫県たつの市に、ヒガシマル醤油という会社があります。
地元民からすると、有名なのかどうか良く分からないんですが。
今回は、醤油についてのお話。

1254年
宋の径山寺(きんざんじ)で学んだ「覚心」というお坊さんが日本に帰って来ました。
覚心は和歌山を拠点として活動しましたが、
今で言う兵庫県姫路市でも布教を行いました。
この時、覚心が学んだ「径山寺味噌」も世に広まりました。

径山寺味噌
大豆や大麦の麹に塩を混ぜ、
刻んだウリやナスを漬け、発酵させた物。

兵庫県の龍野はこの径山寺味噌の素材が効率よく入手出来る立地であったため、
地元民が生産していた。
この径山寺味噌の桶の底や上に溜まった汁は風味が良いため、
料理に活用され始めた。

醤油の原形である。

つづく。
ご近所に引っ越してきた一家は、この辺には珍しい子持ち。
小さな子供の声が響くのはそれはそれでほほえましいもんであります。
ただ、日曜の朝に

タトバタトバータートーバータトバタバタバタトバータトバタトーバー
タトバタトバタトバタトバータートーバータトバタトバタトバートバー

と叫びながら駆け回るのは勘弁してくれ。
タトバは1人に1つまで。

動物園で鹿に向って
「ひつじ!」「ひつじ来ーて!」と言いつつエサを上げてた子に少し萌え。
(萌えとか言うな)
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