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民家の軒先に貼ってあった。

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パンや肉はなかなか慣れなかったけど、
果物類は評価が高かった。

「甘く、我が国の干し柿を思い出させる」→ナツメヤシ
「栗のような味、少し苦みあり」→ヤシの実
「その味、日本の桃の如く」→パイナップル
「形は大きく皮は薄く、汁気が多く、味は他に勝る」→オレンジ
「形は柿に似て色黒、味が非常に良い」→マンゴスチン
「形も味もラッカセイ」→アーモンド

では最後に、この2つが何を食べた時の感想かをお考え下さい。
どちらも同じ果物です。

「(果物名)の味、スイカと梨を1つにした感じ」
「その味、マクワウリに似て美味」
徳川幕府、第三次遣外使節団の目的地はフランス。
12月29日に出発した。

これはフランスに「鎖国を続けさせてくれ」=
「前に約束してた横浜港の開港は無かった事にしてくれ」と
頼みに行く外交だった。
当然、受け入れられる見込みは無く、
幕府側も行っても無駄だろうと思っていた。
単に、交渉したけどダメだったというパフォーマンスを示し
朝廷を納得させるために行ったのであった。

となると、幕府からの支援、フランスからの支援も非常に薄かった。

フランスが用意した船は小さく、乗るべき場所も少なく、
食事も船員が食べる物をそのまま食べるしか無かった。
(ついでに言うとシャンハイまでしか行ってくれなかった)

元旦こそ「即席の雑煮」を作って喰い、満足したようですがそこからは苦難。

「パン並びに牛肉をフランス人が持ってきたがそのまま返した」
「パンはたまに食べたが、酒と牛肉派すぐに返した」

…どうにも口に合わなかったようです。

ただ、メンバーの中の1人、スギウラだけは違った。

「食べ物に慣れない人が多く、中にはカツオブシをかじっている人もいた。
俺は牛肉や豚肉が美味い事を覚えたのでいつも喰ってた」

おお!やるじゃないかスギウラ!

逆に、徹底的に合わなかったのがウメゾウ。
ウメゾウ曰く。

「パンは変な匂いは無かったけど気味が悪い。
3日ほど食事を取る事が出来ず、空腹耐え難い」

パンくらいは食えると思うんだがなぁ。
結局ウメゾウ、持参して来たモチを焼いて食い、飢えをしのぐ。

「其時の快さ、たとふる物なし」

ウメゾウは下働きの男だから、洋食が合わないのも無理は無い。
では使節団の偉いさんはどうだったのか?
…これが意外な事に、ダメだった。

使節団TOPのアオキも全く食事を摂れず、
しかも家来も全員ダウンしたため自炊する事すら出来なくなっていた。
そこでアオキ、ウメゾウに依頼する。

「せめて粥にても欲しく思えども我が家来とても死人の如く、ものの役には立たず」

ウメゾウは海水でお粥を作り、
日本人用に提供した。

「衆人の喜び、実におのれ一世一代の功名なり。
 皆々粥を食する有様、憚りながら乞食の飯台に付きたる如く也」

コメは偉大である。
ペリー提督の日記によると…

1854年、ほぼ希望通りの条約締結が見込まれたため、
ペリーは日本人を招き大宴会を行った。
アメリカ人の印象を良くしよう、というイメージ戦略だった。

ペリーは甲板で飼育していた牛、豚、鶏、
ハム、野菜、魚、果物、シャンパン、マデラ酒、シェリー酒、ウィスキーなど
あらゆる素材を使い、豪華な料理を作った。

日本人はあらゆる料理をガツガツと食べた。
もちろん、美味だからという面もあったが
多くの場合において味よりも興味の方が上回っていた。
あらゆる料理、食材の名前を聞き、ことごとく味見をしていたのだ。

この時、日本人が絶賛し
「一番の御馳走だ!」と評したのは…牛タンだった。


牛タン!
庭木の月桂樹を切ったので、
葉が大量に手に入った。
明日から陰干しして、ローリエ作りだ。

だがかなりの量、出来るんだよなぁ。
知り合いの洋食屋にでもやるか。
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