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徳川幕府、第三次遣外使節団の目的地はフランス。
12月29日に出発した。

これはフランスに「鎖国を続けさせてくれ」=
「前に約束してた横浜港の開港は無かった事にしてくれ」と
頼みに行く外交だった。
当然、受け入れられる見込みは無く、
幕府側も行っても無駄だろうと思っていた。
単に、交渉したけどダメだったというパフォーマンスを示し
朝廷を納得させるために行ったのであった。

となると、幕府からの支援、フランスからの支援も非常に薄かった。

フランスが用意した船は小さく、乗るべき場所も少なく、
食事も船員が食べる物をそのまま食べるしか無かった。
(ついでに言うとシャンハイまでしか行ってくれなかった)

元旦こそ「即席の雑煮」を作って喰い、満足したようですがそこからは苦難。

「パン並びに牛肉をフランス人が持ってきたがそのまま返した」
「パンはたまに食べたが、酒と牛肉派すぐに返した」

…どうにも口に合わなかったようです。

ただ、メンバーの中の1人、スギウラだけは違った。

「食べ物に慣れない人が多く、中にはカツオブシをかじっている人もいた。
俺は牛肉や豚肉が美味い事を覚えたのでいつも喰ってた」

おお!やるじゃないかスギウラ!

逆に、徹底的に合わなかったのがウメゾウ。
ウメゾウ曰く。

「パンは変な匂いは無かったけど気味が悪い。
3日ほど食事を取る事が出来ず、空腹耐え難い」

パンくらいは食えると思うんだがなぁ。
結局ウメゾウ、持参して来たモチを焼いて食い、飢えをしのぐ。

「其時の快さ、たとふる物なし」

ウメゾウは下働きの男だから、洋食が合わないのも無理は無い。
では使節団の偉いさんはどうだったのか?
…これが意外な事に、ダメだった。

使節団TOPのアオキも全く食事を摂れず、
しかも家来も全員ダウンしたため自炊する事すら出来なくなっていた。
そこでアオキ、ウメゾウに依頼する。

「せめて粥にても欲しく思えども我が家来とても死人の如く、ものの役には立たず」

ウメゾウは海水でお粥を作り、
日本人用に提供した。

「衆人の喜び、実におのれ一世一代の功名なり。
 皆々粥を食する有様、憚りながら乞食の飯台に付きたる如く也」

コメは偉大である。
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