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はぁ、はぁ…復活しましたぞ。
ただ天皇食べ物ネタはさすがにネタ切れなので、天皇台詞ネタでご勘弁。
以下、天皇は昭和天皇を指します。

日中戦争が起こった際、杉山参謀次官とのやりとり。
杉山 「支那はひと月でケリをつけます」

その後太平洋戦争が始まると

杉山 「百日で終わらせます」
天皇 「…支那はまだ終わらないではないか」

杉山 「支那は広う御座います」
天皇 「太平洋はもっと広いではないか!」


二・二六事件後、全閣僚が辞表を提出した際の言葉。
「事件の最高責任者といえる陸軍相の辞表文が他の閣僚と同一の文面とはどういうことか!」

大正15年、まだ天皇になる前の話。
岡山の後楽園に宿泊した天皇はハトを眺めていた。
ここに住むハトは人を嫌い、すぐ逃げる。
 「これは公園に来る人がハトを可愛がらないからである。自分がひとつ慣らしてみよう」
3日後、天皇の周りはハトだらけになった。

「何年勤めているのか?」
「何か生活に不自由は無いのか?」

昭和21年2月19日。
地方巡幸に訪れた工場で、前場幸吉に述べた一言。
これが「天皇の庶民に向けた肉声の・第一声」である。
この後、前場の「俺は天皇と話したことがある」は絶対無二の自慢の種となった。

「戦災の国民の事を考えれば何でもない。10日間くらい風呂に入らなくてもかまわぬ」
戦災により宿泊場所が確保出来ず、列車を止めて車中泊となった。
側近の「申し訳ありません」に答えて。
(でも天皇は元々風呂が好きではないのですけれども)

「ダメだ。自分は匂いをかいでもダメだ」 
酒どころ・灘を訪れた際、利き酒を渡されて。
アルコールの他に煙草もダメだった。

「ちょっとみんなの泊まった部屋を見てくるよ」
「宿屋と言う物は、人を泊めるのに実に都合よく出来てるね」

数十年振りに一般の旅館に宿泊して。

「私も御粥にして下さい」
巡幸中、皇后が体調を崩し食事が御粥になったのを知って。

「コノシロを下さい」
初めて握り寿司を食べて。
ネタ名のコハダではなく学名のコノシロと注文している事に注目。

「あの時は侍医に止められてほとんど食べられなかったから、今度は十分楽しんでみたい」
昭和46年、フランスでの食事にて。
50年前フランスに訪れた際にはエスカルゴを止められた。

「時には意見の相違はあっても終始協調の精神で努めて来た」
記者から夫婦円満の秘訣を聞かれて。
どことなく「男は我慢だよね」と言ってるように聞こえる…。

「預けにですか、借りにですか」
昭和50年、アメリカの銀行頭取から
「東京支店が皇居のそばにあるのでたまにお立ち寄り下さい」と言われて。
天皇が自由に出歩けない事を踏まえたユーモアをさらにユーモアで切り返す天皇。

「留守中の『水色の時』はVTRにとっておいて欲しい。
  その後新しく始まる番組もそうしておくように」
 
昭和50年、訪米前のコメント。
NHK朝の連続テレビドラマのファンだったのだ!
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