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大晦日、掃除だの何だのやってる最中に電話が鳴る。
親戚 「牡蠣いるか!牡蠣!殻付き!」
ぷう。「はい!アリガトウゴザイマス!」
殻付の牡蠣を…大晦日に…
これ、即、身を出すか殻ごと焼くかしないといけないよね…
仕方なく練炭をスタンバイし、片っ端から殻を開け、焼く。
焼き終わったら、電話が鳴る。
親戚 「カニいるか!カニ!冷凍の!ズワイ!」
ぷう。「はい!アリガトウゴザイマス!」
うーん…冷凍庫に余裕はあっただろうか?
などと考えながらキーを回してエンジンをかけるとバッテリー上がり。
よ、よりにもよって大晦日に!バッテリー上がり!
(まぁ出先で上がらなくてヨカッタと思うべきか)
親戚 「牡蠣いるか!牡蠣!殻付き!」
ぷう。「はい!アリガトウゴザイマス!」
殻付の牡蠣を…大晦日に…
これ、即、身を出すか殻ごと焼くかしないといけないよね…
仕方なく練炭をスタンバイし、片っ端から殻を開け、焼く。
焼き終わったら、電話が鳴る。
親戚 「カニいるか!カニ!冷凍の!ズワイ!」
ぷう。「はい!アリガトウゴザイマス!」
うーん…冷凍庫に余裕はあっただろうか?
などと考えながらキーを回してエンジンをかけるとバッテリー上がり。
よ、よりにもよって大晦日に!バッテリー上がり!
(まぁ出先で上がらなくてヨカッタと思うべきか)
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恒例・こっそりチャット開催中。
鶴瓶&たけし、を視聴。面白い。
明日の「絶対に笑ってはいけない」に向けて体調調整中。
鶏挽肉を肉団子にして、濃いめの出汁で鍋。
他の具材は白菜とシメジ。
ラストはうどんで締め。美味い。
鶴瓶&たけし、を視聴。面白い。
明日の「絶対に笑ってはいけない」に向けて体調調整中。
鶏挽肉を肉団子にして、濃いめの出汁で鍋。
他の具材は白菜とシメジ。
ラストはうどんで締め。美味い。
これにて本年のお買いもの、終了!
阿部ルシウスがこっちを見ている!
月刊ヒーローズ、7-11で山積み。
明日からはおせち作りが本格化。
うわーこれちょっとやってみたい。
軽いお色気!お色気なのにカッコイイ!素晴らしい!
だがしかし「佐田はトンデモ論者」と決めつけるのはまだ早い。
確かに外国嫌いで無茶もしているんだけど、
こういう事も言ってるんだ。
(以下、ぷう。超訳)
様々な国ごとに衣食住に違いがあるのは、気候や風土が違うからだ。
人間が、無理に様々な種類を使い分けているんじゃない。
だから外国のモノをそのまま日本で使うのは難しい。
例えばイギリスは、日本に比べて日照時間が半分だ。
という事は、日本に比べて気温は低く、湿っぽくなって当たり前。
だから穀物も綿も育たず、
山に木は無く、竹も生えない。
コメが無いから肉を主食にするしかない。
綿が無いから毛織物を衣服とするしかない。
竹が無いからレンガで家を作らねばならない。
木炭が無いから石炭を使わねばならない。
日本にはコメがある。
日本には綿がある。
日本には竹がある。
日本には木がある。
それに沿わないというのは害がある。
…ね、ここだけ読むとすげーまともな事言ってますよね。
日本が優れている、西洋が劣っている、じゃないの。
日本には日本が合うんだよ、って事。
一部、無茶な展開をしこそすれ、
根底の部分は至ってマトモなのだ。
佐田は晩年、全国を旅して自説の講演活動を行っていたが、
明治15年12月、旅先で亡くなった。
支援者たちは佐田の体調悪化を家族に伝えようとしたが、
「電報を使う事は佐田先生の意に反する」という配慮から手紙で伝えたために、
佐田の家族は臨終に間に合わなかった。
確かに外国嫌いで無茶もしているんだけど、
こういう事も言ってるんだ。
(以下、ぷう。超訳)
様々な国ごとに衣食住に違いがあるのは、気候や風土が違うからだ。
人間が、無理に様々な種類を使い分けているんじゃない。
だから外国のモノをそのまま日本で使うのは難しい。
例えばイギリスは、日本に比べて日照時間が半分だ。
という事は、日本に比べて気温は低く、湿っぽくなって当たり前。
だから穀物も綿も育たず、
山に木は無く、竹も生えない。
コメが無いから肉を主食にするしかない。
綿が無いから毛織物を衣服とするしかない。
竹が無いからレンガで家を作らねばならない。
木炭が無いから石炭を使わねばならない。
日本にはコメがある。
日本には綿がある。
日本には竹がある。
日本には木がある。
それに沿わないというのは害がある。
…ね、ここだけ読むとすげーまともな事言ってますよね。
日本が優れている、西洋が劣っている、じゃないの。
日本には日本が合うんだよ、って事。
一部、無茶な展開をしこそすれ、
根底の部分は至ってマトモなのだ。
佐田は晩年、全国を旅して自説の講演活動を行っていたが、
明治15年12月、旅先で亡くなった。
支援者たちは佐田の体調悪化を家族に伝えようとしたが、
「電報を使う事は佐田先生の意に反する」という配慮から手紙で伝えたために、
佐田の家族は臨終に間に合わなかった。