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ヌテッラ
ヌテッラこそ真のイタリア料理だ! ミラノ人
ヌテッラなしにイタリア人は育たない! サルディーナ人
ヌテッラを直喰いしてこそ、君はイタリア人を語れるのだ! ナポリ人
どうやらイタリアのソウルフードのようですね。
ヌテッラの正体は、パンにつけるへーゼルナッツのスプレッド。
ピーナツバターというよりはチョコバターに近い。
しかしこのヌテッラ、100gあたり553キロカロリーもする。
炭水化物が57g、脂肪が31gだそうですのでさもありなん。
ちょっとだけ食べてみたいなーヌテッラ。
ヌテッラこそ真のイタリア料理だ! ミラノ人
ヌテッラなしにイタリア人は育たない! サルディーナ人
ヌテッラを直喰いしてこそ、君はイタリア人を語れるのだ! ナポリ人
どうやらイタリアのソウルフードのようですね。
ヌテッラの正体は、パンにつけるへーゼルナッツのスプレッド。
ピーナツバターというよりはチョコバターに近い。
しかしこのヌテッラ、100gあたり553キロカロリーもする。
炭水化物が57g、脂肪が31gだそうですのでさもありなん。
ちょっとだけ食べてみたいなーヌテッラ。
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藤森照信
建築家・東大名誉教授・工学院大学教授。
・知り合いと一緒にざるそばを食べた。知り合いが半分を食べる間に、2枚目を食べ終えていた。
・駅の立ち食い蕎麦屋に入った。蕎麦が出て来た。23秒後、食べ終えていた。
・妻が妊娠した。喜びの余りウナギ屋に「毎日かば焼きを出前してくれ!」と頼んだ。
当然妻は食べる事が出来ず、藤森が半年間食べ続けた。
・(東海地方にシアワセ電波送信中。皆さんもご一緒に)
建築家・東大名誉教授・工学院大学教授。
・知り合いと一緒にざるそばを食べた。知り合いが半分を食べる間に、2枚目を食べ終えていた。
・駅の立ち食い蕎麦屋に入った。蕎麦が出て来た。23秒後、食べ終えていた。
・妻が妊娠した。喜びの余りウナギ屋に「毎日かば焼きを出前してくれ!」と頼んだ。
当然妻は食べる事が出来ず、藤森が半年間食べ続けた。
・(東海地方にシアワセ電波送信中。皆さんもご一緒に)
ヽ(・∀・)ノ カレー!
有難う御座いました。拝読致しました。
インドで食べられているスパイス料理と、
ヨーロッパ経由で日本入りした「カレー」が別物だという事は
私も理解しておりました。
ここから先は…まぁwikiのほうが詳しいのですが。
欧風カレーのスタートはイギリス。
インド料理に注目が集まり、C&B社の作った「カレー粉」が
ブームとなりました。
イギリスは、植民地で得られた物=流行のアイテム、という風潮があったように思えます。
お茶や、砂糖もそうです。
元々イギリスは植生が偏っており、使える食材に限りがあった。
創意工夫で料理にバリエーションを持たせる事に限界があった。
周囲の樹を切って燃やし、野鳥を焼き、イモを茹で、
家で育ててる乳牛と麦でオートミールやパン。シンプルに食べる。
そういう食生活。
当時の家庭は、野菜・魚・果物の3つはほとんど食べて無い。
イモ、麦、野鳥のどれか1つが欠ければ間違いなく死ぬ。
これが、産業革命を迎え時間給の理念が生まれ都市部に人が集中すると
野鳥はいない、薪も無い、牛乳は鮮度が落ちる、
人口が密集するから家が狭く調理場が無い、
働いて現金収入を得ないと食べ物が買えない、
でも勤務時間を伸ばすと調理時間が取れない、と
大変な事になりました。
そういう中で生まれたのが、
ナウい食べ物で、安く手に入り、お湯だけで作れ、
カロリーも取れ、カフェインで目も覚める…砂糖入りの茶だったり、
街角で仕事帰りに買えるフィッシュ&チップスだったり。
(この時期漁業が発展し、漁獲量が倍増したため魚が安かった)
カレー粉というのも、ハイカラな雰囲気で好まれたのでしょう。
そして短時間に、料理に決定的な風味を付ける事が出来る。
「労働者のお手軽料理」に欠かせなかったのだと思います。
小麦粉を入れて濃度を出す手法の「カレー」がどこで生まれ、
いつ日本に入ってきたのかは私は知らないのですが
ソースに小麦粉を使い、トロミを出すのはフランス料理の技法ですなぁ。
煮溶かした野菜でトロミを出すのも、西洋料理の技ですね。
煮込み料理の栄養論については、目から鱗。
こういう視点で考えた事は無かったなー。
確かに、スパイスの香りは、日本流カレーとそれ以外のカレーでは
全然違いますな。
(私はネパール料理のカレーをたまーに喰う)
日本料理における煮込み料理の位置づけはどうなんだろう。
元々日本人が煮込みフェチで、新食材はとりあえず煮込み倒す、という線は無いだろうか。
「日本人と煮込み料理」、はい今後の課題見つけた!
現地では美味しく調理してる、という点に関しては私もそう思います。
でも、遠く離れた地では、遠く離れた地の人が、
遠く離れた地のセンスに合う形にキッチリ仕上げているとも思うのです。
絶対的な鮮度の低下とかは仕方ないですが、
それ以外の差異は単に、重視する理が違うのだと思う。
小麦粉を足す。煮込み倒す。
栄養素を減らす。香りを飛ばす。
それは確かにそうです。そうですが、
別に「うへへへトロミを出して食べにくくしてやんぜ」とか
「栄養素が少ない方がいいだろうグヘへ」みたいな事じゃーない。
そうせざるを得なかった、あるいはそうする事が望ましかった理由が
ゼッタイあるはず。
違う姿になるだけの理由が、ね。
例えば、日本人は本家インド人ほどには
香辛料慣れしていないのではなかろうか。
複数のスパイスを使う事に慣れておらず、
食べ慣れていなから美味いと思えず、
煮込み、香りを飛ばし、トロミを出し、主食のコメにかけ、食べる。
それは本家インドとは真逆というカタチにはなってしまったけれど、
受け入れやすい形になった。
印→英に入ってきた時も、英→日に入ってきた時も、
そういう変化があって、徐々に徐々にカドが取れて行ったんじゃないだろうか。
で、インドはインドで香辛料のカドを立たせる「必要性」が、
日本よりもあるのでは無かろうか。
体温上昇とか、発汗とか、殺菌とか発酵調味料作りにくいとか。
イマイチ考えがまとまらないけど、
米をシンプルに炊いて喰うのはジャポニカ米だけじゃない?
インディカ米って、割と強い味付けで食べるイメージがある。
印度とか。南米とか。
この違いも、カレーの変化には関わってる…ような気が、する。
ちょっとだけ、する。
単にインディカ米の育ちやすい地域と、スパイスが育ちやすい地域が
重なってただけかもしれないけど。
…日本のカレーがまたどこかの国に伝播したら、
もっとマイルドなカレーになるんじゃないかなぁ。
ネットの発達した現代では、そういう変化は起きにくい…かもしれないけどね。
日本はインドのスパイス料理たる「本家カレー」に出会う事は無かったし、
日本にあう「欧風カレー」を作り出しちゃったし、
そのイメージも広がり過ぎた。
例え本家カレーが栄養豊富で野菜の旨味があっても、
欧風カレー=カレー、という認識は…崩れないだろうなぁ。
馬=サラブレッド、と同じで。
嫌な奴になんてなってませんよ。断じて。
私はあなたを「(絵であれ文であれ)真摯に考え表現しようとする能力」が高い人だと思っています。
今回、私とはまた違う考え方をお持ちのようでしたので、
そんなあなたの考え方をじっくり聞いてみたかったのです。
そうする事で、私が気づかなかった事とかがしっかり見えて来る。
突き詰めて考えようとせず、考えた結果を表現出来ない人相手ではダメなんです。
時間を割き返答してくれて、本当にありがとう。
とても有意義で、楽しかった。
有難う御座いました。拝読致しました。
インドで食べられているスパイス料理と、
ヨーロッパ経由で日本入りした「カレー」が別物だという事は
私も理解しておりました。
ここから先は…まぁwikiのほうが詳しいのですが。
欧風カレーのスタートはイギリス。
インド料理に注目が集まり、C&B社の作った「カレー粉」が
ブームとなりました。
イギリスは、植民地で得られた物=流行のアイテム、という風潮があったように思えます。
お茶や、砂糖もそうです。
元々イギリスは植生が偏っており、使える食材に限りがあった。
創意工夫で料理にバリエーションを持たせる事に限界があった。
周囲の樹を切って燃やし、野鳥を焼き、イモを茹で、
家で育ててる乳牛と麦でオートミールやパン。シンプルに食べる。
そういう食生活。
当時の家庭は、野菜・魚・果物の3つはほとんど食べて無い。
イモ、麦、野鳥のどれか1つが欠ければ間違いなく死ぬ。
これが、産業革命を迎え時間給の理念が生まれ都市部に人が集中すると
野鳥はいない、薪も無い、牛乳は鮮度が落ちる、
人口が密集するから家が狭く調理場が無い、
働いて現金収入を得ないと食べ物が買えない、
でも勤務時間を伸ばすと調理時間が取れない、と
大変な事になりました。
そういう中で生まれたのが、
ナウい食べ物で、安く手に入り、お湯だけで作れ、
カロリーも取れ、カフェインで目も覚める…砂糖入りの茶だったり、
街角で仕事帰りに買えるフィッシュ&チップスだったり。
(この時期漁業が発展し、漁獲量が倍増したため魚が安かった)
カレー粉というのも、ハイカラな雰囲気で好まれたのでしょう。
そして短時間に、料理に決定的な風味を付ける事が出来る。
「労働者のお手軽料理」に欠かせなかったのだと思います。
小麦粉を入れて濃度を出す手法の「カレー」がどこで生まれ、
いつ日本に入ってきたのかは私は知らないのですが
ソースに小麦粉を使い、トロミを出すのはフランス料理の技法ですなぁ。
煮溶かした野菜でトロミを出すのも、西洋料理の技ですね。
煮込み料理の栄養論については、目から鱗。
こういう視点で考えた事は無かったなー。
確かに、スパイスの香りは、日本流カレーとそれ以外のカレーでは
全然違いますな。
(私はネパール料理のカレーをたまーに喰う)
日本料理における煮込み料理の位置づけはどうなんだろう。
元々日本人が煮込みフェチで、新食材はとりあえず煮込み倒す、という線は無いだろうか。
「日本人と煮込み料理」、はい今後の課題見つけた!
現地では美味しく調理してる、という点に関しては私もそう思います。
でも、遠く離れた地では、遠く離れた地の人が、
遠く離れた地のセンスに合う形にキッチリ仕上げているとも思うのです。
絶対的な鮮度の低下とかは仕方ないですが、
それ以外の差異は単に、重視する理が違うのだと思う。
小麦粉を足す。煮込み倒す。
栄養素を減らす。香りを飛ばす。
それは確かにそうです。そうですが、
別に「うへへへトロミを出して食べにくくしてやんぜ」とか
「栄養素が少ない方がいいだろうグヘへ」みたいな事じゃーない。
そうせざるを得なかった、あるいはそうする事が望ましかった理由が
ゼッタイあるはず。
違う姿になるだけの理由が、ね。
例えば、日本人は本家インド人ほどには
香辛料慣れしていないのではなかろうか。
複数のスパイスを使う事に慣れておらず、
食べ慣れていなから美味いと思えず、
煮込み、香りを飛ばし、トロミを出し、主食のコメにかけ、食べる。
それは本家インドとは真逆というカタチにはなってしまったけれど、
受け入れやすい形になった。
印→英に入ってきた時も、英→日に入ってきた時も、
そういう変化があって、徐々に徐々にカドが取れて行ったんじゃないだろうか。
で、インドはインドで香辛料のカドを立たせる「必要性」が、
日本よりもあるのでは無かろうか。
体温上昇とか、発汗とか、殺菌とか発酵調味料作りにくいとか。
イマイチ考えがまとまらないけど、
米をシンプルに炊いて喰うのはジャポニカ米だけじゃない?
インディカ米って、割と強い味付けで食べるイメージがある。
印度とか。南米とか。
この違いも、カレーの変化には関わってる…ような気が、する。
ちょっとだけ、する。
単にインディカ米の育ちやすい地域と、スパイスが育ちやすい地域が
重なってただけかもしれないけど。
…日本のカレーがまたどこかの国に伝播したら、
もっとマイルドなカレーになるんじゃないかなぁ。
ネットの発達した現代では、そういう変化は起きにくい…かもしれないけどね。
日本はインドのスパイス料理たる「本家カレー」に出会う事は無かったし、
日本にあう「欧風カレー」を作り出しちゃったし、
そのイメージも広がり過ぎた。
例え本家カレーが栄養豊富で野菜の旨味があっても、
欧風カレー=カレー、という認識は…崩れないだろうなぁ。
馬=サラブレッド、と同じで。
嫌な奴になんてなってませんよ。断じて。
私はあなたを「(絵であれ文であれ)真摯に考え表現しようとする能力」が高い人だと思っています。
今回、私とはまた違う考え方をお持ちのようでしたので、
そんなあなたの考え方をじっくり聞いてみたかったのです。
そうする事で、私が気づかなかった事とかがしっかり見えて来る。
突き詰めて考えようとせず、考えた結果を表現出来ない人相手ではダメなんです。
時間を割き返答してくれて、本当にありがとう。
とても有意義で、楽しかった。
|・ω・`) カレー…
|彡サッ!
椎間板ヘルニアを説明しようと思ったんだが、
予想以上に難しい。
立体模型が欲しい所。
背骨の立体模型なんて手に入らねえよな。
兵庫県の山間にある、佐用町(さようちょう)。
「僕たち佐用の 山から降りてきた
救世主になるんだ 田舎のまちおこし」
救世主、食われるんですけど良いんでしょうか。
「月の兎」か!
|д・) チラリ
|・ω・`) カレー?
(´・ω・`) カレーないない…
|彡サッ!
椎間板ヘルニアを説明しようと思ったんだが、
予想以上に難しい。
立体模型が欲しい所。
背骨の立体模型なんて手に入らねえよな。
兵庫県の山間にある、佐用町(さようちょう)。
「僕たち佐用の 山から降りてきた
救世主になるんだ 田舎のまちおこし」
救世主、食われるんですけど良いんでしょうか。
「月の兎」か!
|д・) チラリ
|・ω・`) カレー?
(´・ω・`) カレーないない…
それが直接自分に関わる問題ではなかったとしても、
何かのきっかけで興味を持つ事がある。
そういう時は、知らなかった知識を急激に調べ学ぶ事になるんだけど
これが結構楽しい。
脳内のどこかが繋がれて行く感覚。
まだまだ調べますぞ。
■つい想像してしまう話■
荒俣宏は、インカ文明の遺跡を見学するためペルーのクスコ高地を訪れた。
2・3歩スキップし、酸欠で倒れた。
何かのきっかけで興味を持つ事がある。
そういう時は、知らなかった知識を急激に調べ学ぶ事になるんだけど
これが結構楽しい。
脳内のどこかが繋がれて行く感覚。
まだまだ調べますぞ。
■つい想像してしまう話■
荒俣宏は、インカ文明の遺跡を見学するためペルーのクスコ高地を訪れた。
2・3歩スキップし、酸欠で倒れた。